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校名の由来 |
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■ 第1の説
「江戸砂子」という古文書によれば、昔、天慶の乱(939年)に源経基が、竜川(笄川)を渡るとき、見張りの武士に通行を断られました。そこで、経基は、味方の証拠として刀の笄(こうがい)を与えて、やっと通ることができたそうです。この後、この橋を鉤匙(こうがい)橋と改められ、それが笄(こうがい)橋に変わったということです。
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■ 第2の説
「再校江戸砂子」では、徳川家康が、江戸に幕府を開いた際、このあたりに甲賀、伊賀組に屋敷を下されたので、その橋を甲賀伊賀(こうがいが)橋と唱えたとあります。それがその後、笄橋と呼ばれるようになったそうです。そのほかにも香貝(こうがい)橋や国府方(こうがた)橋、小貝(こがい)橋などから変わってきたという説もあります。
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